最近知人の影響で、特に必要のない時(通勤・退勤時とか)は裸眼で過ごしている。
直接聞いていないのだけど、知人相当視力が悪いと思われるのだけど、基本裸眼で過ごしている。
視力が低いという話は聞いていて、それでもある程度見えていると思っていたのだけど、
ある時に筆記している場面に遭遇して、「この人相当視力悪いんじゃ…」となったのがきっかけ。
その出来事に遭遇する前に視力が良くなくて、それでも裸眼で過ごしているという話は聞いていて、
どういう世界観になるのだろう、と思って実際やってみた。
私は近視と乱視と老眼という三重苦を発症している(結末は次回)タイプなので、裸眼での行動は
最初はそれはそれは恐ろしいものだった。いやこんな見えないの怖くないか?と思ったり。
ところが、人間とは恐ろしいもので数日もすると慣れが恐怖を上回っていく。
近視と乱視をフル無視した裸眼での行動は、はっきり言ってピクトグラムの世界になる。
なんとなく人も背景もアイコン化するというか、少し昔のゲーム画面みたいな感じになる。
そう考えると、見たことのある風景になる。別に困らなくなった。
知人の見えている世界観がもしこんな感じなら(実際は知らないし、もっと見えているだろう)、
案外ピクトグラムと質の悪いゲームのような世界観も悪くない、と思えるようになっている。
どうせ見えていても脳内でカットされる風景と人々なのだから、見えていない方がいっそ
脳の仕事も減るだろうし、眼鏡をすればちゃんと?見られる。そう思うと気が楽になった。
(アイキャッチ画像):UnsplashのTao Yuanが撮影した写真
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(後記)
見えないと言っても、まったく見えないわけでもないし、
見たいものがあるわけでもない。達観というか諦めというか世界から目を背けている感覚。